久遠

家業である西陣の織屋を継ぎ、商品にふれるまでに、私にとっては、父の作った帯をしめる母親の着姿が着物のルーツになっています。その母も亡くなり、着姿を見ることもなくなりました。残された着物と帯をながめていると、ステイタスとしてではなく、スタイルが存在します。
着物と帯との互いに生み出す「あや」に美しさを見出す。きものの持つ美しさは、本来このようなものではなかったのか。今一度、残された着物と帯を、見つめなおし、現在の自分自身の物創りと共に見ていただける場を求め、古くから親交のあった吉田孝次郎先生の京都生活工芸館「無名舎」におきまして、展覧会「久遠」を開催いたしました。
無名舎は商家の趣をのこし、飾りではなく亭主の美意識が細部までいきわたったつくりです。座敷と板の間や敷舞台と変化に富んでおります。
あかりは裸電球であり、そのやさしさは忘れつつあるものです。すべてきものと帯をスタイリングし、それぞれのしつらいにあわせた見せ方に重きをおく。かたちは変わっても「あや」を表現いたしました。
久遠はその言葉の通り、久しく遠いと無窮の時を意味します。ただ、過去に向かってだけではなく、はるか未来へと続くものでもあります。タイムトラベルをすることはまだ叶いませんが、思いを過去へ未来へと馳せることは可能です。久遠の時をお楽しみくださいませ。