



1月21日、ジャクソンポロック展を見に行ってきました。1950年代の現代美術に大きく影響を受けました。一番の驚きは私が生まれた時期にこれらの作品群がこの世に存在していたことです。そして知ることはできませんが、60年前、絵の具のにおいと共にリリースされ世に問いかけた時と今、振り返るように見る事との違いを感じたりもします。今回はドリッピングされた絵の具と言うよりペンキの白が経年変化によって、ずいぶん輝きを失っているように感じました。書を彷彿させる横長の作品の用紙が2枚合わせで、その耳のズレ、繋ぎあわせの跡、収縮によりしわしわになったエナメル塗料の表面など興味深く、晩年の白黒の作品は見たときにすぐ、棟方志功の作品を思い出しました。河井寛次郎の釉薬を投げかけ、ドリッピングのような表現は同時代だけあって、作品への影響力も垣間見ることができ、楽しい時間でした。コンバースのバスケットシューズは別会場にあり、向かいのペンキ屋さんのお兄さんのはいていたスニーカーもこんな感じではなかったかと思いつつ、ウォホールをはじめ、商業に影響をあたえる一面も感じました。アトリエを模したスペースも有り、この後、東京でも展覧されます。
クラッシックになってしまった現代美術とは:ひとまとめに時間軸で現代と言っても過去になってしまうことに世に発表されたときのインパクト、輝きを保ち続けることができるのだろうか。作品は同じでも、受け取る側が一緒でも作品がいつの世も発信し続けることは大変だと思った。



まだ商品としては製織しておらず、試織の段階でのおひろめです。表現方法を模索する中、大島などの細かい絣調子を織物で表現したら、どんな感じ?というのが始まりです。ドットの無地の織物が最初の一歩で実はこれが今回一番大事です。どの織表現で進めるか?かすり調の細かい模様表現を織り出せる?まずこのような問に対しての答えが作れるか、です。右上に見えるのは裏です、ドットの二色使いを確認して頂けると思います。この表現を確認した後、どのような文様にすればと考え、イタリアの華紋の線調子のデザインを選び、大きさなど整え送りなどを決め、進めて行きます。織物の約束事は紋図と呼ばれる方眼紙のような計紙の上に重ねていきます。方眼の一ますは経を動かす針が8本単位で表現し、1針に4本ずつ扱い、計32本の経糸が一マス目にあります。経糸2400本を600本の針で上げ下げのコントロールをします。イメージはアナログとデジタルの間を行き来する感じです。最初の絣調子は本当の絣であれば自然とランダム性が生じますが、ジャガードの紋織物では計算によりランダムらしく組み立てて行きますので、ここでも矛盾を形にすることになります。 織り上がった裂(まだ1尺ほどの長さの試験です)を母の残した白大島の着尺の上に合わせてみました。質感、光沢感は申し分なく合います。帯が大島の染帯を合わせているように見えてしまっては良くないなと思いつつ、柄の大きさがポイントかなと考えています。
真っ赤なにおいや赤紫などは会社にある最高に色目の強いものです。使用する面積やドットで表現するといつもより弱くなってしまいます。このあたりで色使いの面白さをだせればと思っています。

SHU UEMURA で生まれて初めてシャドゥーを買ってきました。どきどき。。。ひとりではさすがに選び辛いので、家内とともに訪問です。パール系が入っており、明るさに惹かれてしまいます。さすがに絹糸ではこの質感はムリなので彩度、明度の高さを保つよう染め出しに注意です。西陣では分業化が進み、糸染屋さんにサンプルと共に染めをお願いします。長年のつきあいで「ぶれるなら良い方にぶれる」という勘どころはわかります。10のことを伝えるのに、3,4で自分の思いが伝わる方が、結果的には良く、12も13もくどく説明しなくてはいけないときは大抵結果は良くないです。
もうひとつのボビン巻きの糸の山は3年前にパリへ行った際に百貨店のボンマルシェに手芸などの売り場が充実という話を聞き、買ってきたものです。丁度ポイントになるようなビビッドな色合いを求めていたのでこのカラフルな色糸はとても魅了的に見えました。100コ近く買ってきましたが、種類によって値段が異なり、レジで精算をお願いすると私の後ろには長蛇の列。私以外、皆女性でフランス語で文句言って怒っているのはわかりますが、知らないふりをして不器用なレジ係の女性の手伝い(種類別にする)をし、仕事の軽減に協力していました。もっとも日本で売っているのもありますが、しっかり織楽の帯に新しいニュアンスを加えています。
今月の帯 睦月 二本目は 「松の雪」 袋帯です。円山応挙の雪松図から題材を得、袋帯に織り上げました。表現するのは松ではなく深々と降り積もる雪と音がすべてすいこまれてしまう SOUND OF SILENCE のような世界観です。ほのかにのぞく松葉と幹はわずかない色糸で、雪に反射する日のひかりを薄金色で表現しています。地も薄い白よごしのわずかな違いの3色で織り上げています。七年前に一度、織りましたが、地組織を手直しして久しぶりに織った一品です。

7日土曜日に銀座もとじ様との御縁で東京からお客様御夫婦が織楽にお見えになりました。奥様は黒に白の線で織り上げた「画線」の袋帯、ご主人は微妙な黒の表情がモザイクのようになった「彩列石紋」の角帯を素敵にコーディネイトして頂いておりました。このような形でお目にかかれることは、とても嬉しいことです。工房をまわり、資料、コレクション、帯などをご覧になって頂き、あっと言う間の3時間でした。ありがとうございました。
ご来客の折には、いつも考えてしまいますが、お正月ということで花びら餅にしました。今回は末富さんにお願いしました。花びら餅は宮中におせち料理の「菱葩(ひしはなびら)」に由来するとあります。それぞれのお菓子屋さんによって微妙に違いますね。少しおおぶりで牛蒡を含め、甘すぎず美味しく頂きました。お出しする際に根來の塗か椿の花を形取った絵皿か、考えた末、根來の塗の菓子皿になりました。ちなみに下に引いてある和紙は吉岡幸雄先生の染められた紅花の楮紙です。
今日は七草がゆをいただきます。「ごぎょう、はこべら、せり、なずな、すずな、すずしろ、ほとけのざ」と子供たちが小学校のころ、呪文のようにとなえていたのを思い出します。七草にお鏡さんを鏡開きして、焼いたおもちをあわせます。一年の無病息災、祝膳で弱った胃を休めると聞きます。お米×お餅、どうかんがえても炭水化物のとりすぎです。うす塩味のほっとするやさしさです。
またよく言われるように京都ではものにさんづけします。鏡餅もお鏡さんです。丸餅と違い、お鏡さんは水分が少なく、密度高く、美味しいです。お醤油で付け焼きして、焼き海苔でつつんで食べるとこれまた美味しいものです。
2012年最初を飾る帯は「連珠双龍文」名古屋帯です。
今年の干支の辰をモチーフにしたものです。八世紀、法隆寺に伝来する双龍二重連珠円文綾絹裂をベースにアレンジしています。二重連珠円文の言葉の通り、本来なら円文が二重になり双龍をとりまくのですが、円ばっかりになりますので、内側を唐草に替えています。一番外側にも外周のくくりがあるのですが、固くなり、広がりがなくなりますので省いています。この表現の文様も他に類似した織物が存在しています。敦煌の美術館などにもコレクションがあるのですが、少しずつ異なります。比べてみますとその変化が楽しいものです。ワンポイントのお太鼓柄として文様を直し、無地場に変化をもたせ、奥行き、表情を得るために角通しのような四角いドットを配しています。地色は鳥の子色のようなクリームでドットはオフホワイトでひとつとびに微妙に色が異なります。主文様は倍越で織り上げ、絹の光沢によって上質感を表現したものです。龍のもつ玉はうすいパープルです。原本は連珠文と連珠文との間には菱形に表現した唐草紋を詰めて連続文様としていますが、今回は主紋のみです。
中断しては間があいてしまうブログで申し訳ありません。今年も宜しくお願い申し上げます。
新年 明けましておめでとうございます
れいせつのよきひ
よろこび これあらたなり
やわらぎ なごむこと ばんざい
ことほぎ たもつこと せんしゅん
毎年同じ一節ですが、本当に喜べる日々が来ることを心から祈ります。
正倉院 北倉に伝わる「人勝残欠」の一節です。
人勝は古く中国で行われた行事で正月に長寿や子孫繁栄を願い
色絹や金箔を切り抜き人や花の形を作っていました。
それがわが国に伝わったものです。
今年は辰年。青龍をモチーフに今、私が一番すきな色合いで表現しました。
織楽浅野は31年目、新しい歴史を作るべく、新しい物創りにチャレンジです。途切れっぱなしで申し訳ありませんが、今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
この木製の箱の材は年を経た大木「白楊 しろやなぎ」を使うので楊筥(やないばこ)と書きます。二十年毎に遷宮を行う伊勢神宮に奉納されます。神宝入れとして用いられ織道具などのミニチュアを作り、納められます。



この部屋は講演会の時には椅子を入れ、皆様に座って頂いておりました。平日、ギャラリートークの時にはコンセプトをヴィジュアル化して見て頂く事に重きを置いております。低いテーブルを五台。それぞれにイメージを展示してあります。
まず一番最初は織楽の物創りに置いて非常に大切な和紙の素材感です。楮:三椏:雁皮と三種の和紙を重ねてあります。それぞれを触って頂くと、手に伝わる触感は全て異なります。自分が創り出す織物の根本がこのような違いを織分けることが出来るのか。帯といえば柄に目が行きがちですが、織楽にとってはそれをささえるベースの多様性が織り上がった帯の楽しさ、表現力、風合いの違いに繋がると考えております。また和紙の白さは普段私たちが使っている洋紙の白さとは異なります。真っ白ではなく素材の「素」という言葉が相応しいものです。写真などでは捉えきれない物が美しさの根底の大きな要因になっているように思います。
次は吉岡先生の御講演でも説明いたしました和紙染の椿です。余計なことをしなくてもそのままで美しいものです。こねくり回すようなことではなく、余分なものを取り除いていくとそこには「素」の美しさが残るような気がします。
最後に藤田嗣治が使っていたキャンパスを再現したものです。写真ではわかりにくいのですが、サイドには麻の生地目が見えます。通常のキャンバスと同じように麻の生地をベースにしてあるのですがその上の仕事が違いすぎます。この藤田の乳白色のキャンパスは長らく秘密とされていました。今年、昔に撮影された土門拳のアトリエの写真から秘密が判明しました。ベースは硫酸バリウム(胃の検査で飲むバリウム)に炭酸カルシウム(日本人形の胡粉と同じ成分ですが、貝から取る物を胡粉と呼びます)に鉛白を合わせて絵の具として塗っていたとされます。その上にベビーパウダー(昭和30年代の子供の時期にはポンポンと呼んでいました。)を使ったそうです。このキャンパスの表面を見てさわると日本人形のようななめらかなつるっとした非常に艶めかしい手触りです。この表面があるからこそ、面相筆を使い藤田はあの美しい女性を描くことが出来たのです。ですからこの表面なしではあの線、表情はあり得ないのです。
このようにここでは「素」というもののもつ必然が私の帯創りに大きくかかわっています。